漢方の草貫堂

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2015年3月30日月曜日

足助中馬のお雛様

                          中馬の雛まつり  2014.02.16

 2月16日日曜日、前日に雪が降り、雪が積もった中での三度目の足助の訪問である。
今回は、中馬のお雛様を見物の為に出かけることにした。いつものようにといっても三度目ではあるが、公共の場所の方が無理にものを買わなくてじっくりと雛人形を見られるという目算が漠然とあったようである。その後は成り行きというか風の吹くまま気の向くままに任せるいつもの旅のスタイルである。そんな訳で香嵐渓を9時41分着のバスを降り、足助支所でトイレを済ませての始まりである。まず足助交流館を目指した。朝早くまだ準備中なのか、人の配置も定まっていないのかざわざわと落ち着かない雰囲気がした。写真を撮ってよいかの許可を得てから、シャッターを切った。


ここのおひな様の特徴は、私たちにとって見慣れない上段にお内裏様とお姫様の御殿があり、これを御殿ひなと言って高価なもので昔は庄屋さんかお武家さんしか飾らなかった時があったそうである。四段とスケールの大きいお雛様もあり、歴史を感じさせるこじんまりとしたお雛様がそこにあった。。

バスで降りた時は、私一人だったのに、観光客もちらほら見かけるのは、ここを訪れる人たちのほとんどが、マイカーで来た人たちであろう。中橋を渡って新町を抜け、マンリン小路を横手に見ながら、次の本町区民館土びな会場を目指した。中学生のボランティの子供たちを相手に挨拶をしている町内会長さんらしき人たちの集団が、道いっぱいに広がって、道を塞いでいたので、邪魔にならないようにその前を頭を低くして素早くすり抜けた。土びな会場も、誰もお客さんもいなくて入りずらかったが、勇気をふるって、ガラス戸を開けて中に入った。稲荷寿司セットを頼んで待つこと10分、トン汁もついて、500円とは、ボランティ価格であった。婦人会の役員らしき人に、ここの良さと言うか特長をお訪ねした。昔、この地方のある部落では、男の子が産まれてもお雛様を贈ったとの珍しい風習も聞き出せてた。「五月に店のお客様をバス一台でこの地をお連れしようと思ってます。」とお話しすると足助川を守る会の会長さんを連れてきて下さった。「ボランテア希望のファックスを出しておいて下さいね。」と念を押された。一緒に食べていた中に豊田市の議員さんもいて「足助の良さをピーアールしておきますね。」と話したら、「よろしく」と頭を下げられた。

「この本町通りの下に足助川に沿って道があるのでそこを歩かれたら、この足助の山と川が織りなす自然が満喫できて面白いですよ。そしてこの半券で、町内会で、ぜんざいのサービスもありますから、この先のテントを訪ねてみてください。そして地元では足助城を真弓山でなく、飯盛山に造ってほしかったね。真弓山は、出城で、本丸は、飯盛山だったのだからね。」と地元の人の本音をそっと教えて下さった。


 

足助のフォーティーエイトもどきのの女の子達が、さかんに歌を歌って盛り上げていた。
  足助川に沿う道に降りる道を探しながら歩いてくと雑貨を売る店を見つけたので入って見ることにした。長く営業を続けているようで、歴史を感じる看板が掲げてある。町起こしで、街ぐるみ、各家にあるお雛様を店に飾って観光客を呼ぼうという試みであり、毎年春の行事にしようとみんなで話合って決めたそうだ。ここの店は、その昔、椿油をこの地区で専売していたとのことで黒地に金文字で「さかゑ椿油」と書かれた堂々した看板が鎮座して長い間この店を上から見守っていたのであろう事がうかがえた。



「二週間前に来た時に、この辺で一円でこの家売ります。」の看板がありましたが、今日はありませんね。」とお訪ねしたら、「どうも近くに通う人に決まったそうですよ。」とお聞きして、私が毎週、週末に通う別荘の話は、途切れてしまって残念でした。色々とお話下さったので、椿油は使わないので、この辺の名物とかのおもちの粒と小さな織り鶴を、黒い竹に飾ったもの買って行く事した。この竹に飾りをつけたものは、この辺りでは、「吊るしひな」と言って、最近伊勢の方から伝わったものらしい。


  店を出て、この辺で二番目に古いと言われるお雛様、「明治」を飛び越えて「江戸」まで時を飛ん行きそうな歴史を感じさせる風格がある。許可を得て、写真に納めることにした。
  

 

川の岸に沿う道に降りて歩くことにした。日影には、まだ雪が残っている。日の当たる屋根からは、雪が解けてポツポツと頭に.落ちてくる。ちょうどその道は、新田町、田町、本町、新町と続く通りの裏道に当たる道であるようだ。ほとんど観光客の人に会わず、たまに犬を連れて散歩するこの土地に住むらしい人に会うくらい、長閑である。この川の流れの音を聞きながら左右に山を感じながら晴れ渡った空の下、しばらく続くこの自然を独り占めした。川上、川下、左右の小山を振り返り、振り返り、きょろきょろと見まわすしながら、この今見ている自然を、この自然を通して、今の時を体感しながらシャッターを切った。  川に沿って次の訪問地、足助資料館を地図で方角を確かめながら、歩いた。気が付くとカメラのレンズのカバーをどこかで落として来たらしい。来た道を何度も行き来して、捜してみたが見つからないので諦めて、先を急ぐことにした。153号線に沿って歩いた。足助小学校をを過ぎて、足助資料館の前に立った。しかし門が閉まっているので閉館中かと思ってみたが、せっかくここまで来たのだからと左に回ってみたら、中に入ることができどうやら開いてはいるらしい。「ご面下さい。」と言って靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて、上がらせてもらった。事務所の中には、女の人が一人、ガラス越しに机に向かって、座っているのが見えた。「館内を見せてもらいます。」と言って頭を下げたらどうやら女の人も会釈したようで、中を見せてもらうことにした。むかし蚕業取締所として建てられた建物は、私が子供の頃通った小学校の木造校舎のようなひと昔前の造りであった。

 縄文土器、弥生土器の展示があり、この足助から奥三河にかけて、縄文の宝庫と言われる如くたくさんの遺跡があったようだ。長野県で発見されたあの岡本太郎が絶賛した燃え上がるような火焔式縄文土器を想像していたらそれには、とおく及ばない造形性におとなしい土器たちであった。印象に残ったのは、縄文のヴィーナスと言われる今朝平遺跡の土偶である。造形的に単純素朴で、これなら私でも造られそうだ。 そんな事を考えるとその造った人と私との間に何万年かの時空を超えて、それから伝わってくるものを感じる錯覚に陥り、時を共有した気持ちになった。ご多分に漏れず、左肩の所が壊されていた。これも、妊婦の災いを代わって償った土偶と思われる。ここにもまた本多静雄さん寄贈の常滑と渥美の甕も置いてあった。館内は、肌寒くほとんど人が訪れる雰囲気は毛頭なさそうだ。求めもしないのに、近寄って来て、懇切丁寧に説明されるより、誰にも邪魔されず、このように勝手に来て勝手に見て、勝手に想像を膨らませての見学も、じっくりと見られて心地よかった。この誰もいない部屋と言ってもそんなに広くないのに広々と感じられた部屋の中で相変わらずの縄文人との対話の白昼夢を見せてもらった。
この土地は、原始時代から人の入れ替わりはあるにしても、綿々と人の暮らしが受け継がれて来たことに歴史の重みを感じた。
そして、山で囲まれた足助という町の中で醗酵した他と何か違う文化が窺がえる。


  この後は、広瀬重光刃物店の二階で一休みしてから、前回見られなかった足助屋敷の鍛冶屋さんの仕事ぶりをじっくりと見学させてもらおうと思いその二階の喫茶店で一休みする事にした。子供会の集まりであろうか、一団の子供がランチを食べているところであった。そこに鍛冶屋さんのご主人本人が、ギターを持ちだしてきて何をされるかと見ていると、鍛冶屋さんの作詞、作曲の「中馬のお雛様」を歌いだし、思わず本を読むの辞めて  て聞き惚れた。この土地で生まれ育った人でないと、とっても歌えないような歌詞で、この土地を愛している情感が伝わって来て、図々しくとても「写真を撮らせて下さい。」と言えない厳かしさがあった。

フルーツみつ豆を食べ終わる頃、「しばらくして足助屋敷で仕事をします。」と言われたので私もそろそろ用意をして向かう事にした。その斜向かえに古道具屋さんが今日は、開いていたのでつい覗いて見たくなる衝動に駆られたので、まだ少し時間がありそうで、その衝動に従がった。薄暗い中にも古い道具が二階まで処狭しと並学校の木造校舎のようなひと昔前べらべてあった。中でも白の生地の貫乳?の中に鮮やかな呉須で植物の書かれた鉢が目に入ってきた。そこのご主人のおじいさんが、「もう一つあるよ。」と教えられた。二階に上がって、蕎麦猪口の棚の中に緑緑した湯呑みみたいなものがあったので、下に持って行って湯呑みかどうか、訪ねてみたところ、それは、蕎麦猪口との返事であった。階段の両端という両端に、徳利がぎっしりと置いてあった。黒の文字で書かれたものがほとんどの中に、茶色の文字のものを持って行っていたところ、「それは、江戸はある。」と話された。いつものように思わず時を浪費してしまった。ではなくこの成り行き気ままな時間に縛られない放浪する旅こそ、旅の醍醐味である。その値段を聞いて私の懐具合でも購入できる値段なのでそれらを頂いて、鍛冶屋さんの二階に預かってもらう事にして足助屋敷に急いだ。

  鍛冶屋さんの前に立った。そしてその鍛冶屋さんの仕事ぶりを見せてもらうことにした。炉の前に立った鍛冶屋さんは、中馬のおひな様を歌ったあの優しい人でなく、火を操る仁王さんのような凄さのオーラさえ発していたようで近寄りがたかった。鉄棒を真っ赤に焼いて機械でたたいては焼きを入れて、それを繰り返し、そのうちに微妙な調節は手でやはり、何度も焼いてはハンマー叩きを繰り返して、やがて思い通りに先を尖らせていた。そして形が、出来上がると管の中の油で冷ましていた。現代では、この仕事は、なかなか生計を成り立たせて行くのは難しいだろうと思もわれる。この人の仕事と言い、中馬のお雛様の歌と言いこの足助で生まれ育って地道に生きている様は、町に住み、時代の急激な流れの変化に何の抵抗もせずに順応していく私の姿に対して、先祖とまでは言わないまでも、父親くらいの生き方というか、伝統を私が失くしてしまったものを思い出させてくれた。


足助屋敷の囲炉裏のある家に入ってみた。薪で、目が痛くなるほど家の中は、煙っている中で、履を作る実演をしていた。そこで、この土地でしかない独自の土雛の段飾りを見学、そしてやはりこの土地の独特のひな壇の最上階の御殿が、それ以下とバランスを崩してまで強調されたひな壇飾りを見学した。

 屋敷を出て、ぶらぶら逍遥していたら、香積寺の石段が目に入ってきた。旅の気楽な誘惑に負けて空っぽの頭、何も考えずに、この階段に一歩を踏み出していた。帰りのバスのの午後4時40分発のバスには、間に合わなくなるかもしれないけど、飯盛山へ登るべく階段に体全体が本能的に動いていた。階段横には、まだ雪が残っていて肌寒かった。
  飯盛山を登るには、春にかたくりの咲く正面の登りより、香積寺を経て飯盛山に登る方が情緒ありである。朽ち果てた赤い鳥居をくぐり抜け、くぐり抜けして、頂上の八角堂に至った。下りは、まだ歩いていない東側の道を下ろうと思って5分ほど下りたのはいいけれど、雪に足が滑って滑って危ない。でも下りの5分に又引き返す5分の合計10分の時間と体力の無駄の消費を考えると強引に東側の道を降り切るのが良いのかを考えた。これを繰り返すのが遭難に繋がるのだなーと感じながら、登って来た香積寺を経て降りる道に決めた。下り始め、お寺の本堂から山門を見降ろすと雪が脇によって見事な景観を現わしていた。時刻は、午後5時を少し廻っていた。辺りには、もの寂しい静寂が漲っていた。



巴川に沿って下っていくと樹木の間から眺める川の流れがすばらしいので、川原に降りて行くことにした。川の流れに見とれながら下って行くと、緑のきれいな石が、「俺を連れて行ってくれ。」と語りかけているようで、「重いから、やだよ。」と言って通り過ぎても、おねだりしているようなに感じたので、引き返して連れて行くことにした。これを「緑泥片岩」と言うのかな、小学校の頃覚えた名前がふと浮かんできた。学名は、たぶん違がうだろうが、数億年から数十億年の時間をかけた泥の馴れの果てなのであって、青味がかった緑色の石、「緑泥片岩」とそう呼んだ方がこの石の名前としたらこれしかない気がする。
そして拾い上げて歩いて行くと、また「私も連れて行って下さい。」とやさしく語りかけてくる御影石もいたので、まとめて面倒をみることにした。川の流れに削られて女性的な丸みのある表面の曲線が美しい。石英の白い透明感の生地に肌色の不透明な長石、黒雲母の斑点がバランスよく散らばっていて器量よしの御影石である。私の尊敬する恩師は、草木と会話の出来る数少ない人の一人であるが、草木の生い立ちの説明をしながら、草木にやさしく触れる手は、可愛い子供の頭を撫でる動作を彷彿とさせるものがある。そう考えると恩師には申し訳ないが、私は、植物より岩石、.鉱物の方に会話の出来る人間かも知れないな。

 一時間おくれの5時40分 、一の谷口発のおいでんバスの人となり、車外の景色も暗闇がだんだんと増していった。以前より少し足助という町を深く知り、深く味わえた感謝の旅でした。

 
 
 
 

2015年3月23日月曜日
《シンシン、幼稚園に行く》


さ~く~ら~♪

ついに桜が咲いたね。やっと名古屋に春がやってきた気がするよ。

さて今回のコスプレは、いつもぼくに声をかけてくれる

幼稚園のみんなと友達になるために、ぼくも同じ格好をしてみたよ

きっと4月から入園とか入学で新しい環境になる人も

多いだろうけど、それぞれの場所でみんな頑張ってね。

最初は苦しい事や悲しい時もあるだろうけど、

その先には必ず幸せが待っているさ。

それでも辛くなったらここにおいで。

みんなシンシンスマイルで元気にしてあげるよ。

 

では、みなさんにとってより良い一日となりますように、ZIP!

(日テレ、朝の情報番組より)

2015年3月5日木曜日

***今月のオススメ商品***

Vol.13 瓊玉膏(けいぎょくこう) ~体質改善 滋養・滋潤薬


こんにちは。


暦は3月に入りました。

ここ最近はまだ寒い日、暖かい日があり、季節の変わり目を感じますね。

昼間は暖かくても朝晩は冷え込み、体調をうまく調節しづらい時期です。

薄手のニットや何か一枚羽織れるもの(着脱し易い)など衣類で、上手に調節して体調を崩さないようにしましょう!!
 
あと数日すると少しずつ暖かくなり、次第に寒い時期の辛かった症状は和らぎ、寒くて辛かった朝も毎朝起きやすくなりますね。
 
これから暖かくなる季節にしっかり体調を整え、また来る寒い季節に強い体で元気に過ごせるように体質改善していきましょう。
今回はそんな体質改善にオススメの商品瓊玉膏(けいぎょくこう)』をご紹介したいと思います。

 

瓊玉膏(けいぎょくこう)』は、1170年 中国は宋の時代に誕生し、古典として名高い漢方医学書『洪氏集験方(こうししゅうけんほう)』に初めて発表されました。時の皇帝の子孫が脈々と栄えることを願い、典医たちが叡知を結集させて作り上げた歴史ある漢方薬です。

 

このお薬は、黒糖色で艶やかな独特の香りと甘味、ほろ苦さを兼ね備えた、ちょっと不思議なとろける生薬エキスです。そのままでも飲んでも良いですし、水やお湯でといて毎日のお茶代わりとしても飲みやすいお薬です。

 

瓊玉膏』は人間が本来持っている、“自然治癒力”を最大限に育て上げる漢方処方です。

内臓の働きを活発にし、栄養分の吸収を高め元気を補う力不要な老廃物は体から出そうとする手助けをする力もあります。

 

 

●こんな方にオススメ・・・

. 疲れやだるさがとれにくく、活力がわかない 体質改善されたい方

2. 妊娠(子宝を望まれる方)・出産・子育て期のお母様やお子様

3. 病中、病後で体力をつけたい方、体力の低下が気になる

4. 食欲が無い方、食べたいのに食べれない

5. 肌に艶がなくカサカサ、髪の毛の乾燥・パサつき


●草貫堂がオススメする理由

1. 基礎体力と気力を充実させ若さを保ちます

2. 自然治癒力を高め、病気やケガに負けない体をつくる

3. 細胞を活性化させ、みずみずしいお肌と艶やかな髪をつくる

4. 胃腸虚弱、風邪をひき易い、アレルギーの体質改善に

5. 病気やケガの回復が早い

 

瓊玉膏』は、体の根本から着実に改善していきます。少しずつ毎日続けて頂くことが何より大切です。

 

だんだん暖かくなり、過ごしやすくなってきたこの季節。

体質改善をお考えの方、少しずつ始めてみてはいかがでしょうか。



 






瓊玉膏300g 11,430円(税抜き)
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